あらゆる事象がデータとして記録され、デジタル加工機はあらゆる形状を生み出し、オンラインツールはあらゆる場所をつなぐ。そんな時代であるようだ。代替できるものが代替されていくのは大いに結構なことである。しかし私は置き去りになるもののことが気になってしまう。
長い時間を過ごした建物には、そこかしこに人の痕跡が残されている。誰かが作り、使い、傷つけ、直してきた痕跡を眺めていると、これはいま捨ててしまうと取り返しがつかないなという確信を強くする。いまは何に役立つわけでもないけれど、いつか価値が見出されるかもしれない。あと少しだけ輝いて、価値が見出される時まで生き延びることができたらなと思う。
いま、手間をかけてものを作ること、残すことにどんな意味があるのだろう。人が集い、時間を過ごすことにどんな意味があるのだろう。何でもできそうな時代だからこそ、できないことに敏感でいたい。計画できないものを眼差して計画したい。